メタ研通信 第3号 2022.07発行

第45森ビルのこと ー理事長就任のご挨拶ー

 新たにメタ研理事長に就任した名井(みょうい)と申します。よろしくお願いいたします。

 1989年、平成元年にメタ研が設立されたとき、34歳だった私はオープニングスタッフの一人としてメタ研の立ち上げにたずさわりました。バイトリーダーのような立場でした。また1991年から93年には、当時メタ研がロンドンに開設していたロンドンメタルセンターの所長の職にありました。今回は人生で3回目のメタ研勤務となります。

 1989年の設立当初、メタ研のオフィスは神谷町の第45森ビル4階にありました。地下鉄日比谷線神谷町駅に直結した利便性の高い場所でした。1989年はバブル景気の最終盤にあたります。しかし、その当時、私も含め殆どの人は自らがバブルの中にいることも、それがいずれ弾けて大変なことになることも知らず、熱狂の中にいました。不動産取引は今では想像すらできない価格と速度で行われ、神谷町周辺も再開発の嵐の中にありました。老夫婦がやっていた担々麺の美味しい中華屋や、甘いタレがくせになる天丼屋などが次々と地上げされ、コインパーキングに姿を変えていきました。

 当時、虎ノ門、神谷町エリアには、「第○○森ビル」と名前に番号がふられた森ビルがたくさんありました。通産省関係の公益法人の多くが「第○○森ビル」に入居していました。その後、それらの多くは取り壊され、巨大な「ヒルズ」や環状2号線の一部になっていきました。第45森ビルは今でも健在ですが、名称は「虎ノ門45MTビル」と変わっており、森ビル殿の物件リストにも載っていません。所有形態は変わっているのかもしれません。

 先日、神谷町駅で地下鉄を降り、"第45森ビル"の地下街を通って用務先に向かう機会がありました。その景色は当時とあまり変わってはいませんでした。日本も世界もこの33年間で大きな変化を経験しました。ニューノーマルといった言葉も使われています。世界は別なものに姿を変えてきたし、これからも変えていくのでしょう。でも今、"第45森ビル"の地下街を歩くとき、若き自分の記憶がよみがえり、「一周回って元の場所」という言葉がノスタルジックな気分とともに浮かぶのであります。

以上

目次へ戻る 前へ 次へ

 

お問い合わせ English HOME